デザイン
建築吉田璋也自邸 正面
1952年鳥取大火で医院・書斎・客間を焼失した吉田はそれまで培ってきた建築の設計の経験を活かし創意を傾注してその再建に挑んだ。床下を倉庫とし木造4層である。吉田に限ったことではないが、民藝運動における建築は和漢洋など様々な様式の綜合により家具や工芸とも一体となった独特の建築空間を作り上げている。住宅や飲食店が多い中で唯一の医院建築である吉田医院は、「生まれ変わったら建築家になりたい。」という言葉を残した吉田の建築の到達点として完成度も高い。
デザイン年 | 1953年 |
---|
〈 建築 〉